私というレンズを通して

アメリカ研究専攻の大学院生です。メキシコ系アメリカ人に関して研究をしています。また、学外でセクシュアル・マイノリティ関係の市民講座を仲間とひらいたりもしています。このブログでは、日常生活で思ったことを私の視点から書いていきたいと思います。

アメリカ帝国主義か?:"Latinx"の使用をめぐって

こんにちは。今日はセクマイ関係で思ったことを書いてみたいと思います(以下、文調が少し変わります)。

 

 

先日、私のアメリカ人の「兄」と慕っている人が、「面白い記事を見つけたよ」とリンクを送ってくれた。以下のものがそうだ。

http://swarthmorephoenix.com/2015/11/19/the-argument-against-the-use-of-the-term-latinx/

 

アメリカで中南米系の人を意味する"Latino"や"Latina"だと男性か女性のイメージがつくので、多様性を包括するために2014年ごろから使用され始めたようである。

 

その記事の内容を紹介する前に、アメリカでの人称代名詞をめぐる論争を少し押さえておきたい。

 

どのくらいの人が本当に使用しているのかは不明だが、男女と決めたくない・どちらでもある・どちらでもない人の人称代名詞として"he"や"she"に代わり、"ze"や "they"(3人称複数を単数形として使用する)を使用するケースがあるという(例:"Ze is my friend"や "They is my classmate")。

 

それは勝手に人が呼んで良いものではないので、大学によっては授業の最初に自分が呼んで欲しい名前や人称代名詞を紹介するという。

友人が留学していたクィア・スタディーズで有名なサラ・ローレンスはそのように必ず授業の最初の自己紹介で述べるらしい。

 性の多様性やセクシュアル・マイノリティに対する尊重と包括を示す言葉として、使用してもらえるのが嬉しいと言っている人をYouTubeで見たこともある。

 

 

さて、これは英語の例であるが、スペイン語ではどうであろうか?

 

ご存知の通り、スペイン語は単語レベルで女性形・男性形と分かれている。"Latino"や"Latina"のように男性形であれば単語の最後が"o"で終わり、女性形であれば"a"で終わる。

 

通常、複数人いて男女の両方が存在していれば男性形に複数系の"s" をつけるが、今回の記事では中南米系の人を呼ぶ際に"Latino"と"Latina"の2つではノンバイナリーの人に配慮がないため、ジェンダーを決めつけない中南米系の人を指す単語として"Latinx"としたら良いのではないかと紹介していた。

 

「なんと読むのか?」「母音じゃないのは発音しにくいのでは?」と初めて見た時に疑問に思ったのだが、動画のコメントで私が興味を持ったのは、"latinx"と呼ぶことが、英語の帝国主義、アメリカの帝国主義の押し付けであるという批判である。

 

 

私個人としては、それぞれがどう呼ばれたいかの方が重要に思われるので、"latinx"という単語を知り、考えた上で、その使用を考えたら良いのではないかと思う。

 

日本のLGBT運動でも、欧米中心の情報に溢れていて、文化的にも異なるアジアのことをそのまま欧米の理論を当てはめるのは少し違うのでは?と感じることも多い。

実際にセクシュアル・マイノリティの中には、カタカナの単語は英語圏・主にアメリカの押し付けだとして、LGBTという言葉自体に抵抗感を示す方にもあったことがある。

なんとなく、今回のスペイン語話者たちの"latinx"に対する反応にも通じるものがある気がする。

 

ただ、帝国主義かも…と思うと同時に、欧米生まれの概念が、何かしらのヒントやエンパワーメントになることも十分にあることであるとも感じる。

今回のケースでいうと、例えば中南米に生きるノンバイナリーの人で、自分の性自認に違和感やしっくりこないと感じている人がいたとして、"latinx"という言葉を知った時に、自分はノンバイナリーなのかもしれないと気づくことで、気持ちが楽になることもあるかもしれない。

その人にとっては、やっと会えた言葉である可能性もあるだろう。(そのまま鵜呑みにするのは危険かもしれないが…)

また、 "latinx"のような言葉に触れることで、自分の周りではどうかな?と考える機会になれば、それはそれで価値があることではないだろうか。

 

なので、これらのことを踏まえると、欧米的な考え方を押し付ける帝国主義的な傾向が見られるかもしれないが、良い面もあるかもしれないので、一概に全面否定するべきではないのでは?というのが個人的な意見である。

中南米系の人が生きるコミュニティや言語的な感覚、文化的・宗教的なものなどを含めた上で、"latinx"という言葉を捉え、使用したければ使用すれば良いし、「ちょっと違うかな」と思うならば、使用しなければ良い。そこから発展させて何か心地よい単語を生み出すのもありだと思う。

 

ちなみに、コメントとして、母音ではない"x"で終わるのが発音しにくいので、"u"にしたら良いのでは?という指摘などもあった。確かに「ラティンエックス?」よりはわかりやすい気もする。

 

日本では、あまり「彼は…」「彼女は…」と呼ぶ機会が少ないことや、特別な呼び方をすることでセクシュアル・マイノリティだと示すことになるのに対し抵抗感のある人も多そうである。したがって、あまり人称代名詞の論争は起こらなさそうであるが、この中南米系のノンバイナリーの呼び方論争は考える意味は日本に生きる私たちにも十分にあると思う。